パリの空の下、バラ色の人生
épisode 5_ ESMOD
連載 Ma vie en rose sous le ciel de Paris
ILLUST / MADOKA
ESMODに入学が決まり、再びパリに降り立ったみどりさん。
フランスは学校が始まるのは9月。始まるまでの間、みどりさんは6月から8月はユーロセンターというニースにある学校でフランス語の勉強をします。
とはいえここニースは南仏。気分はリゾート留学です。笑
気候の良い1ヶ月もの間、授業は屋外で行います。ヨーロッパ各地からの留学生と共にちょと遅れた青春を満喫です。
ドイツ人のボーイフレンドもできました。当時はお医者さんの卵。今頃はお医者さんになっているはず。
近くに海もあります。添乗員時代にはシーズンオフの人影寂しいビーチで遠くを見つめていたみどりさん。ここでは賑やかな夏を目一杯楽しみます。
と、ここは南仏のビーチ。そう、ここでは皆んなトップレスで海を楽しんでいます!!みどりさんがそのルールで楽しんだかは…どうだったのでしょう…
そんな南仏の夏を満喫したみどりさんは、9月を前にESMODに入学するべくパリに帰ります。
もうパリ暮らしは慣れたもの。とりあえず、大学3年生の夏休みにソルボンヌ大学の夏季講習を受講した時とは別の「Foyer / ホワイエ」に向かいます。今回のホワイエはT子さんのお家の近くです。
「ここは、とりあえず仮住まい。今回は私もおしゃれなパリジェンヌの様にアパルトマンで暮らすんだ!」と意気込んで始まったパリ暮らし。遊びに勉学に大忙しとなります。
そして ESMODでの学生生活のはじまりです。
初歩的な絵具使い方(色の混ぜ方、グラデーションの作り方など)から始まり、ストライプの組み合わせパターン、花のデッサンからの構成。そして線だけの表現を学び、テーマに沿ったデザインを作成するまでになります。
みどりさんをはじめ各国からの留学生たちは、社会人として色々な経験をしたり目的意識を持って入学してきた人が多かったのですが、同じクラスには地元の高校からなんとなく進学してきた生徒も一緒です。道具の揃え方から授業に対する姿勢まで大きな差があり「地元の子たちは邪魔ばっかりね」なんて愚痴をこぼすことも。とはいえ、どうにも憎めないキャラクターのクラスメイトたちに揉まれながらも、賑やかに過ごすのでした。
ある日、「それにしても、なぜ日本人女性は20代後半になってパリに来る人が多いの?」と教授に聞かれたことがありました。はっと気付いたのです。これがまさに「クロワッサン症候群」だ!と。笑
クロワッサン症候群を知らない方はググってみてくださいね。30歳を目前にした女性が色々思い悩み日本を逃げ出したくなる。理解できると妻は言っております…。
アルバイトも経験します。当時は日本のファッションブランドがこぞって「パリコレ」に参加しており、ESMOD生のみどりさんはショーのバックヤードで、モデルの着せ替えのアルバイトです。
川久保玲さんは、とにかく完璧!全てが計算された動き。山本寛斎さんは、とっても賑やかで楽しい!
三宅一生さん、ヨージヤマモトさんは、その時は急な変更も多かったりバタバタ、ワタワタ!だったそうです。笑
刺激的でとてもいい経験 … 羨ましい限りです。
イケてるパリジェンヌを目指しておしゃれなアパルトマン暮らしをするはずだったみどりさん。
でもここ「Foyer / ホワイエ」は住みやすく、良く知った住処。ホワイエのメンバーと支えあいながら、結局ESMODに通った1年間引っ越すことはありませんでした…。
暮らしやすいのが一番です!笑
そして、T子さんや旦那様のNさんには変わらずお世話になっており、ソフトボールチーム繋がりで出会った”ニノさん”とも交流がはじまります。
ニノさんの「いつかは日本で学校をはじめたい」という話を耳にしましたが、空手の黒帯だったニノさん。この時は空手の学校を作りたいのだとばかり思っていたみどりさんでした。
つづく
小関 みどり / 元 ESMOD JAPON 講師
フランス語に興味を持ちアテネ・フランセで語学を学ぶ。旅行代理店での添乗員をする傍らテキスタイルデザインを習得し、その後渡仏。
パリで、後にESMOD JAPONを設立する仁野 覚氏と出会う。仁野氏と共にESMOD JAPONを設立に尽力。設立後、同校にてテキスタイルデザインの講師として勤務。
現在は自身の人生の軌跡をまとめながら、教え子たちの繋がりを再構築している。