パリの空の下、バラ色の人生
épisode 0_ はじめに
連載 Ma vie en rose sous le ciel de Paris
ILLUST / MADOKA
Ma vie en rose sous le ciel de Paris
〜パリの空の下、バラ色の人生〜
新コラムはじまります!
私(SUU)と、みどりさんとの出会いは 1988年 に遡ります。
東京の美術大学を受験した私は見事に失敗。立川での一年間の浪人生活を経て再度挑戦しますが、美大の門は私に硬く閉ざされたまま。では舞台や映画の衣装デザイナーを目指そうとファッションスクールを探したところ見つけたのが、当時は原宿駅前にあった ESMOD JAPON でした。
この学校はファッションの中心パリに本校があり、フランス人の先生がいたりしてなんともオシャレな佇まい。なんせ“ジャポン”ですから。
そこで私を待ち受けていた全身に緑色を纏った女性が、テキスタイルデザインの講師みどりさん 。名前が“みどり” で、着ている服もみどり色。名前から服まで見事なワントーンコーデ。
昨今ポピュラーなワントーンコーデですが、名前までワントーンでコーディネートしている人はみどりさんしか会ったことがない。そのような彼女は自身のセルフプロデュースによって、当時の私の脳裏にかなりのインパクトを持って記憶されたのでした。
昨年30年ぶりにお会いする機会があり懐かしい話をしているうちに、やっぱりこの人は面白いなぁと思い、このコラムを書き留ることにしました。
30年経っても見事なみどり色のワントーンコーデで現れたのですから。
このコラムは、まだインターネットも無くヨーロッパが遠い時代にみどりさんが渡仏し、ESMOD JAPON の創立から講師になるまでのお話。みどりさんって誰だよって、興味ない人にとっては全くつまらないお話しかもしれませんが…。笑
当時のパリの空気と、パワフルな彼女の物語をお楽しみに!
小関 みどり / 元 ESMOD JAPON 講師
フランス語に興味を持ちアテネ・フランセで語学を学ぶ。旅行代理店での添乗員をする傍らテキスタイルデザインを習得し、その後渡仏。
パリで、後にESMOD JAPONを設立する仁野 覚氏と出会う。仁野氏と共にESMOD JAPONを設立に尽力。設立後、同校にてテキスタイルデザインの講師として勤務。
現在は自身の人生の軌跡をまとめながら、教え子たちの繋がりを再構築している。