パリの空の下、バラ色の人生
épisode 8_ ESMOD のご縁
連載 Ma vie en rose sous le ciel de Paris
ILLUST / MADOKA
いよいよ最終回!
無事にアッシュビルから新校舎への引越しも終わり、流れるようにエスモード ジャポンのテキスタイル担当の先生となったみどりさん。
みどりさんはその後6年間ものあいだ、紆余曲折ありながらも生徒にテキスタイルを教えます。
エスモード・ジャポンは1994年に原宿から恵比寿に場所を移し、開校から40年、現在まで続く立派な学校となっています。
アランドロンに憧れる少女が、まさかフランスへ渡る事になり、パリの空の下へ。
運命に導かれる様にパリのエスモードへ、そしてエスモード・ジャポンの開校へ携わり、自身も講師に…。
「ご縁」というのは不思議な巡り合わせです。
パリのでお世話になったT子さんも、今でも交流があります。本当に「ご縁」そのものです。
そしてみどりさんは70歳間近となり、ふと人生を振り返ることも多くなりました。
今まではみどりさんを介して横の繋がりを持っていた卒業生たち。同じ「エスモード・ジャポン」という学校に集った「ご縁」なのだから、期を超えて繋がって貰いたい … 。
みどりさんはそう思い立ち、70歳の節目で大同窓会を計画します。まずは各クラスそれぞれの同窓会を1年かけて行いました。クラスの同窓会には、当時と変わらない面々が集います。
変わらないといってもウン10年の月日はそれぞれの人生を大きく進めています。ファッションの道で生きてきた人もいれば、まったく違う分野で生きてきた人もいます。
残念ながら連絡がつかなかった人もいますが、みんな紆余曲折ありながら人生の長い年月を刻んでいます。
それぞれの人生の中で、奇跡的に同じタイミングでほんの数年、人によっては数ヶ月、エスモードに集い学んだ仲間たちです。この事実だけでなんの損得もない仲間との再会は、この何十年間も感じたことのない安心感と、当時の未熟だけど楽しんでいた甘酸っぱい気持ちが呼び起こされます。
そうやって各クラスの同窓会が行われた後いよいよ、みどりさんの教え子たち1期~7期を集めての大同窓会「みどりの会」を開催します。
当時お世話になった先生も何人か参加し、総勢70名ほどになりました。
みどりさんの教え子が一堂に集うと、それはまぁ今だに個性豊かな方々。笑
それなりに歳を取ってもこんなに個性が強いのですからエスモードの学生の頃は考えただけでも … 先生方の当時の苦労をお察しします。
1期から7期となると単純に数えても7歳の幅があります。しかし1番若い7期といっても、当然かなりの大人です。
皆さん期をまたいで「ご縁」を繋ぐ有意義な交流会になったのではないでしょうか。
みどりさんは、この「みどりの会」に事情によって参加できなかった方とも「ご縁」をつないで行きたいと考えており、まだまだ暇な老後は訪れないようです。笑
私自身、30年近くエスモード時代の友人とは連絡を取らず、疎遠になっていました。
5年ほど前に、たまたま妻と沖縄の西表島へ旅行に行くことになり、途中石垣島に一泊する事になります。その時「エスモード時代の友人に石垣島出身の大田くんっていたなぁ」と思い出し、Webで検索すると今は石垣島でお店をやっているのを見つけます。便利な時代になりました。
「せっかくだから寄ってみて、私を覚えてなさそうだったら帰ろう。お店も休みかも知れないし。」と連絡もしないで伺ったら普通に「あ、トク。(当時そう呼ばれてました)」と。笑
そこからの「ご縁」が繋がって、皆さんと再会することが出来ました。そしてこのコラムを記すこととなったのでした。
拙い文章で恐縮ですが、みどりさんとエスモードジャポンの軌跡を残すことが出来、「ご縁」に感謝いたします。
みどりさんのチャレンジを続ける姿勢とパワフルさ、そしてマメさに敬意を評し、物語は終了とします。
このコラムの執筆を通じて、私のこれからの人生新しいチャレンジを続ける勇気を貰いました。
ありがとうございました!
SUU
~ みどりさんよりメッセージ ~
『 ご縁へ感謝 』
1984年4月に1期生を迎えて始まったESMOD JAPONも7期生を迎えた1990年。私はそろそろ先のことを考え始めました。
父が1988年に亡くなって、一人実家に残った母を今後どうするかも含めて、私は今後何をやりたいか?何が出来るか?
フランスとのご縁、エスモードとのご縁、旅行会社勤務でのご縁、雑貨好きを含めて、全部ちょっとづつお仕事に出来れば楽しいだろうな?
そんなことを考えてた時期に、同じような感覚のY子さんが同じようなことを考えていました。
相談したわけではないのに、話していたら『有限会社コンタクト』を作ることになりました。
二人は共通点が多く、長女で親の介護の問題があり、フランス好き、物好き、人好きも同じ!前世で繋がっていたのかもね!と良く話しています。
そう!エスモード・パリでも同じ時期に在学しいたのです!(STYクラスとMAQクラスの違いで、当時は会うことはありませんでしたが)
1992年4月に立ち上げた『有限会社コンタクト』は、2019年(令和元年)6月に幕を引くまでの27年間、色々な方々との新しい『ご縁』がありました。たくさんの楽しいことや大変なことも、二人で乗り越えました。
しかしやはり親の世話を投げ出すことは出来ずに、締めることとなりました。この後、新型コロナウイルス感染症が世界的な流行になりました。
そして、2年前の2022年、まだコロナ禍真っ只中、70歳になる年に、ハタッと自分の今までの人生を考えました。
コロナで私の周りにも亡くなる人がいて、いつ自分の身にも!と、いつもは強気な私も見えない敵に関しては何も出来ず、96歳の老母を抱え、消毒液でガサガサになった手を見て、思いました。
今までの人生をまとめておかないと!
断捨離も真剣にしておかないと!いらない写真を処分、頂いたお便りを名前でまとめ!
で!一番大切に思っているものが解って来た!! エスモードで「ご縁」を頂いた皆さん!!手紙、電話、メール、ラインで繋がった皆さんが一番大切と!!
私一人があちらの世界に行っても大したことはないが、みんなとの「ご縁」の糸がなくなってしまうのが、残念!
どうにかしてこれを残しておかなければと考えていたところ、エスモード1期生の上條さんへ相談し、どうにかまだ動ける私が頑張ってみんなへ呼び掛けをして、各期の同期会をすれば、その後の合同同期会が出来そうなことが見えてきた!!
各期の同窓会を行うにあたり中心になってくれた幹事さん、そして当日お手伝いしてくれた人達。幹事のみなさんは仕事や家庭もあって大変な時に、私の無茶振りでも手伝ってくれ、お礼を言いたい!
そして2023年3月から9話にまとめられたこの『パリの空の下、バラ色の人生』。私がどうにかして自分の人生をまとめてみたいと思った時に、5期生の鈴木和徳さん、円さんご夫妻からお声掛けがあって、渡りに船でした!こんなGoodTimingなことがありますか?!
と言う訳で、70歳前からの計画通りに1期生から7期生までの各期毎の同期会があり、昨年2023年10月には合同の同期会(みどりの会)に約70名が集まって開催されました。
最後の締めにこの『パリの空の下、バラ色の人生』を鈴木和徳さんと円さんご夫妻が素敵にまとめて下さり、感謝致します。
今後これをまとめて自分史でも作ってみようか?いやいやまだまだ「ご縁」を繋げなければならない人達がたくさんいるので、そちらを先に!!とやりたいことがまだまだたくさんあります。
今までの私の人生で皆さんとの「ご縁」に感謝し、お礼を申し上げます。私の人生がこのように彩り良い明るい楽しいものになっているのは、皆さんの一人一人の「ご縁」の賜物です。
これからもよろしくお願い申し上げます。
メルシーボクー!!!
小関 みどり / 元 ESMOD JAPON 講師
フランス語に興味を持ちアテネ・フランセで語学を学ぶ。旅行代理店での添乗員をする傍らテキスタイルデザインを習得し、その後渡仏。
パリで、後にESMOD JAPONを設立する仁野 覚氏と出会う。仁野氏と共にESMOD JAPONを設立に尽力。設立後、同校にてテキスタイルデザインの講師として勤務。
現在は自身の人生の軌跡をまとめながら、教え子たちの繋がりを再構築している。