パリの空の下、バラ色の人生
épisode 2_ 初めてのParis 〜 運命の出会い 〜
連載 Ma vie en rose sous le ciel de Paris
ILLUST / MADOKA
1974年、みどりさんはグループツアーで8日間のパリへの旅行に出発します。
当時は海外旅行の情報は少なく、パリでのメトロ(地下鉄)の乗り方、カルネ(切符)の買い方ひとつでも全て手書きのメモを見て行動しなければなりません。
それは日本で通うアテネ・フランセでの友人が、たまたまたまたま同じ時期にパリに居るので一緒に食事をする約束したところから始まります。
パリに着いた当日、宿泊するホテルへ友人に迎えに来てもらう約束をしたみどりさん。しかしみどりさんを乗せた飛行機は2時間も遅れてシャルルドゴール空港に着陸します。
ツアーが手配したホテルに到着しましたが、迎えに来ているはずの友人の姿はありません…。
不安な中しばらく待っていると、その友人が現れます。知らない女性と共に。
みどりさんを食事に誘った友人は、待てど暮らせど現れないみどりさんを案じてホテルのカウンターでフライトの情報を聞きます。しかしホテルは状況が判りません。ちゃんとフランス語が通じているのかも定かではありません。
困った友人は待ち疲れもあって一旦近くのカフェへ。
するとそこに日本人らしき女性がお茶をしていました。その女性が日本人だと確認し、事情を話して助けを求めます。そんなことから再度その女性を連れ立ってホテルに現れたところでみどりさんに会えた、という流れ。
みどりさんと友人はやっと会えたことを喜び、その女性に改めてお礼の連絡をするため住所や電話番号、名前を書き留めてその女性と別れます。
この、たまたまカフェで友人が助けを求めた女性が、その後のみどりさんの人生に欠かせない大切な存在となるのです。
不安な中、無事友人に会えて安堵するみどりさんは、まだこの女性との不思議な縁を知る由もありません。
翌日友人は日本へ帰って行きます。そして手元には昨日の女性の名前と連絡先が書かれたメモ。
礼儀正しいみどりさんはこの女性、Tさんにお礼を伝えるべく書き留めた番号へ電話をします。
するとTさんに「あなたいつまでパリに居るの?」「おひとり?」と聞かれ、「よかったらウチへ来ない?」と誘われます。
このお誘いにみどりさんはケーキを持って彼女がワンちゃんと暮らすアパルトマンを訪れます。
聞けば高校を卒業してから語学の勉強でフランスへ渡り、大学を卒業して今はパリで翻訳のお仕事をしているのだそう。そんなこんななお話しをして、お礼を伝えてアパルトマンを後にします。
慣れない習慣の国で、慣れない言葉で、緊張しっぱなしの8日間。お土産は帰りのシャルルドゴール空港でやっと買いました。
ツアーを終え、成田空港へ無事帰ってきたみどりさんはこの記念すべき初めてのパリへの旅について後にこう言いました。「パリがほんとにあることを確認してきただけ」と。笑
日本に帰ってきたみどりさんはパリのTさんへお礼のカードを送ります。
その後バースデーやクリスマスなどにカードをやり取りするお付き合いが始まり、Tさんが結婚されて、お子さんが生まれて、みどりさんが海外旅行の添乗員のお仕事をして、エスモードのお仕事をして、引退して、、、知り合ってから、かれこれウ~ン十年たった今でもTさんとのお付き合いが続いています。人生の大半です。すごいです。
そして何という運命でしょう、この後みどりさんがエスモード パリ、そしてエスモード ジャポンに関わていゆくきっかけは、このTさんから始まるのでした!!
みどりさんはこの8日間の初めてのパリ旅行で、みどりさんの人生に掛け替えのないすばらしい友人と出会ったうえに、パリという街が実在するということを確認できたのです!!
人との出会いはたいせつにしようと思う私です…
小関 みどり / 元 ESMOD JAPON 講師
フランス語に興味を持ちアテネ・フランセで語学を学ぶ。旅行代理店での添乗員をする傍らテキスタイルデザインを習得し、その後渡仏。
パリで、後にESMOD JAPONを設立する仁野 覚氏と出会う。仁野氏と共にESMOD JAPONを設立に尽力。設立後、同校にてテキスタイルデザインの講師として勤務。
現在は自身の人生の軌跡をまとめながら、教え子たちの繋がりを再構築している。